わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ
わびぬれば 今はたおなじ 難波なる
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
元良親王(もとよししんのう)
わびぬれば いまはたおなじ なにわなる
みをつくしても あはむとぞおもふ
- 歌の意味
- (二人の仲が知れわたってしまっては、もうお会いできませんね。)
会えないのなら、私はもう死んだも同じこと・・・
それならばいっそのこと、難波潟にある澪標(みおつくし)のように
身を尽してもいいから、あなたにお会いしたいのです・・・・
- 解説
- 元良親王は、平安時代No1のプレイボーイと言われ、女性に目のなかった人物。
ある時、「京極の御息所」と呼ばれていた、宇多上皇お気に入りの后に恋をします。
2人は人目を避けて愛し合うようになるのですが、
狭い宮中、すぐにうわさが広まってしまいました。
この時、元良親王が、なげき悲しんで愛する人に送ったのが、この歌。
今はたおなじ=今となっては死んだも同じ。どうでもいいやという気持ち。
みをつくし=「澪標(みおつくし)」と「身を尽し(恋の為に身を滅ぼす)」の掛詞。
澪標(みおつくし)は、船の道しるべとして水の深いとことに立てられた杭。
澪標を詠んだ歌はもう一つある→なにわえの
覚え方
- わさびをぬれば みを「つくしてつや」も 図々しく食べにくる